2005年のGWは2日と6日を休むと10連休になるという大型連休になった。
当初ゴルフ三昧にしようかなと思っていたが、メンバーが見つからず断念していた。
29日、30日と日がすぎて行くにつれ、何もしないでいるのが耐えられなくなってきてついに2日朝9時半頃家を飛び出した。2日は平日なのでさすがにすいているだろうと思い決行に至った。
天候は暑い位の好天気、今回は北海道を目指した。とりあえず青森まで行って青函フェリーに乗ることにした。東北道には朝10時頃はいる。
東北道は、猪苗代辺りまで行ったことはあるがそれからは初めてだった。さすがに連休中、サービスエリアは混雑していた。が、道路は北上するほど車は減って、あっという間に仙台を過ぎ、岩手にさしかかる頃亀田さんからメール。「ゴルフ行く?それとももう旅に出ちゃった?」。サービスエリアに車を止めて「ごめんなさい。もう、イーハトーブ」と返事。「ひぇーっ気をつけて!」
実は、前々日まで亀田さんと一緒に旅に出るかゴルフに行くかで話をしていた。ただ2日が仕事なので3日以降しか予定組めないということで、3日からの大渋滞は間違いないので断念していた。
それで「ごめんなさい」なわけだ。
ついでにここで青函フェリーについて連休の状況が気になり電話する。
「あの青函フェリーは今日乗りたいんですが、予約が必要でしょうか?」「何時ですか?」「まだ岩手なんで多分10時過ぎかな?」「そんなら大丈夫だと思います。とにかく来てください。乗れなくても次がありますから。」
なるほど。
岩手県を過ぎ、青森に入った。やがてりんご園の真ん中を走る。あちらこちらにまだ、除雪の残骸が残っている。さすが青森、天気はいいがひんやりとしている。私が生まれた長野県中野市とは全くスケールの違うりんご園が、これでもかと言うぐらい延々と続く。更に続く。どれほどのりんごがここで作られているのか。みわたすかぎりのりんご園、あの子供の頃から見慣れた灰色で独特の枝振りが、しつこいが延々と続く。徐々に当たりが薄暗くなり始めた頃、やっとりんご園が終わった。青森の街の灯が遠くに見えてきた。大型トラックに挟まれながら、東北道を降り、フェリー埠頭を目指す。六時半頃フェリー乗り場に着いた。家を出て約8時間半から9時間で着いたことになる。感想「思ったよりたいしたこたぁねぇな」東京から下関に行ったときはもっと疲れたが、今回はまだまた、余力がある。しかし「アオ」(くるまのこと)はさすがに疲れたろうなぁ。
フェリーの時刻を見て、考えた末、函館に早朝着く最終便に乗ることにした。青森市内で10時半頃まで時間をつぶすことにした。
青森市内に着いた頃は7時半ぐらいだと思うが、駐車場を探しているうちにどんどん店がシャッターを下ろして閉めている。百貨店のような店に駐車しようとしたら8時閉店とある。まわりをみてもあまり人は歩いていない。路上駐車もほとんどなく、止めにくい。ぐるぐる回ったあげく100円パーキングがあったのでそこに止めた。
とりあえず夕飯にしようとさがしたが、これといった店が見つからず「お食事」というのれんが下がっている店に入った。
「いらっしゃいまっせっーーっと」という変なイントネーションでかけ声をするマッチョなオヤジがまだ肌寒いのにランニングシャツとタオルはちまきすがたで一人でやっているカウンターだけのどう見ても「居酒屋」に入ってしまった。大声でしゃべっているのは青森弁だが、のりは関西芸人のようなテンションでやたらに話しかけてくる。みると壁や天井に零戦やミグ戦闘機のプラモデル、日本海軍旗、が油やすすにまみれてぶら下がっている。どうも自衛隊上がりがやっている店?の感じだ。猫が2匹小上がりの座布団に鎮座している。隣にこれぞ青森弁だという80近い?老カップル、何を言い合っているのか全くわからないが夫婦ではなさそう。右隣は連休にもかかわらず出張で来て、つまらなそうに一人で呑んでいるのサラリーマン。背広の上に黒いコート着たまま「おやじ、俺ももう20年ぐらいか?この店来るようになって」とサラリーマン。「そうだね、そんくらいなるかね。」「よく来たよなぁ、こんなとこまで・・・・」といいながらもう酔っていてがっくり頭を下げた。頭の上がまぁるくはげている。「ついに定年なるまで来ちまったよ、こんなとこまで・・・」。床の黒い大きなアタッシュケースが、バタンと倒れた。オヤジの話では神奈川県の会社で月一回来るらしい。
左隣の老カップルが帰ろうとしたが、おばあちゃんが酔ってしまってフラフラ。おじいさんに支えてもらいながら首をぐるっと回して上目遣いで私をにらんだ。猫に近寄って何か青森弁で言ったが意味不明。
私はさんまを焼いてもらった、ポテトサラダが大盛りで出てきた。まだ時間があるのでどこかでさませばいいなあと思い、ビールを一本頼んだ。

仙台あたり