深夜便の青函フェリーは、満席だった。乗り場まで来たが乗れない人や車がかなりいたようだ。青森市内でビール一本飲んだが、ゲームができるテーブルのある喫茶店で2時間を過ごし、さました。フェリーに乗り込んだが、人であふれ座るところがない。やっと、ごろ寝している人と人の間にスペースを見つけ座った。船が出てしばらくすると老若男女入り乱れてごろ寝する。どこかで酔っぱらいの集団が酒盛りをしている、照明が落ちても彼らの笑い声は響いていた。首を左にすると私とは逆さまに寝ているオヤジ、安物の整髪料の匂いがプーンとにおう。右にするとおばさんの足のつま先が目の前。だんだん沖に出たのか船が揺れだした。ゴーッという振動と音。疲れているはずなのにとても寝付かれない。しばらくするとあちこちから鼾の合唱が始まった。寝よう寝ようとすると余計眠れない。揺れるたびに、足のつま先当たりに誰かの体が触れる。おなかにガスがたまってきてこらえる。自分ではほとんど寝てないつもりだが、多分寝たのだろう。朝になった。
もうこんな想いはしたくない。青函連絡フェリーの夜行便はやめようと思った。
朝5時、函館に着いた。ここが今回の旅のスタートとなる。
時計逆回りで走り始めた。
すぐに石川啄木の像がある海岸線に出る。石川啄木は金に困っていた。女房と子供、母親を他人に預けやっとありつけた新聞社に勤めて仕送りをする。安い賃金で、金がないのに本を買うだけならいいが、遊びに使う。借金をする、また借金して遊びに使う、仕送りが途絶える。最悪のパターンだ。「すまして蟹と遊んでる場合か!」と睨みつけて去る。
恵山岬を通り、走っていくと左に駒ヶ岳が見えてきた。まだ上の方に残雪がある。思い出の大沼公園に立ち寄ってみようかとちょっと内陸に入りかけて、「駐車場が混んでるかも・・・」と思い直し海岸線に戻る。この辺の景色は今まで見た海岸線とさほど変わりはない。
八雲をすぎ長万部に近ずく頃、野沢温泉の従姉妹にメール。なぜか女5人が集まっていた。
「今函館、北海道を半周して帰る。」「えーーーーっいいなあ、お土産買ってきてー。私はマグロのづけ、妹は蟹といくら、(高校生の)姪は海産物何でも、(東京の職場からたまたま戻っていた)娘はとにかく美味しいもの!」「ごめんね、お土産は買わないルールだよ。」それに対する返事が「ふざけんな!」
とは言ったものの、長万部の街道は蟹の土産物屋が軒並み。一応ルールはあるが、ちょっと気の毒になり、昼食かたがたのぞいてみる。
高い!でも美味しそう。とりあえずカニいくらのたっぷり入った3500円の御膳を食べる。「ああっ満足。」お腹がいっぱいになったら・・・やはりお土産はやめた。
虻田町、伊達をすぎ、室蘭に着く。地球岬による。
登別をすぎた当たりから、海岸線がガラリと変化した。道路が直線で広い、そして海岸から近いところでも100メートル以上内陸に入っている。入りくんだ海岸線にへばりつくように住居や道路があるのが今まで見てきた海岸線だが、道路を海岸線ぎりぎりに作る必要がないのだ。
ちょっと気になってスピードメーターを見ると80キロも出ていた。それでもどんどん後ろから車が来る。トラックや軽乗用車が追い越していく。高速道路でもない一般道なのに100キロ以上のスピードだ。制限速度の標識を探すがない、路面にも書いてない。この場合たいてい50キロ制限だと思う。
急ぐたびでもないし、時々止まって写真を撮るので、片側2車線の左側をゆっくり行こうとスピードを落とす。それでも道幅が広いのでスピード感がいつもと違う。70キロだがのろのろ走っている感じだ。
やがて車の量が減って、マイペースで走れるようになった。それにしても軽自動車が多い、だいたいボックスタイプのそして濃いグリーン色。雪道を走るので4輪駆動のものなのか、そして白だと雪が降ると見えないからか。
さすがに連絡船の寝不足と朝から走りつめたので疲れた。苫小牧で泊まろうと思った。
しかし走っても走ってもなかなか着かない。