国道44語に戻り、国道243号に入る。
国道244号から海岸線に出る。野付半島は国道がないのであきらめ、標津をへて知床半島に向かう。
途中国後島がはるか海の向こうに見えた。
知床は私が19歳の夏に来た思い出の地だ。当時はカニ族というリュックをしょったハイカーが一杯いた。ちょうど加藤登紀子の知床旅情がはやっていた頃だ。知床旅情はそれより10年ぐらい前に映画のロケで訪れた森繁久彌が一晩で作り、村長が録音した。それを地元のバス・ガイドに歌い継がせた。それが後に話題になり森繁がレコード化。さらに数年経ち、加藤登紀子が獄中のダンナに教えてもらって歌うことになった。そして大ヒットした。
私はボクシングのサンドバッグのようなズタ袋にマンボ(超スリム)の薄いピンクのカラージーンズに背中にVANまたは、JUNと入った紺のTシャツ、ビーサン(白いビーチサンダル)というスタイルでヒッチハイクをしていた。寝袋を買う金がなかったので輸送用のえび茶の布団袋を持っていた。
知床の付け根斜里の駅でその布団袋にくるまって寝ようとしたら駅員に追い出された。
仕方なく知床半島の先の方へ歩いていたが、だんだん暗くなり手探りで漁師の建物の二階に入った。漁網の山で寝ていたら夜、嵐になり長野の山奥で育った私はドドーンという波の音、風邪の音に眠れなかった。おまけにバッグにあったのはコンビーフの缶詰だけ。その缶詰の食べ残しにネズミが群がってきていた。まだ薄暗い朝、下で作業を始めた漁師に見つからないようにそっと建物を抜け出した。懐かしい思い出だ。
国道335号を知床半島真ん中の羅臼に向かって走ると、「国道334号冬期間通行止め」の看板が出ていた。つまり横断できないのだ。又同じ路を戻ることになる。分かってはいたが、とにかく羅臼には行きたかった。そうゆう衝動にかられたと言っていい。羅臼に着いたとき、雪が降ってきた。GSで給油している青年が真冬の防寒着、ほほや手が真っ赤だった。今日は5月5日である。来たことに満足した。
羅臼から今来たばかりの路を戻り、国道244号で峠を越えることになる。まっすぐないかにも北海道という路を走る。雑木林の間と牧場が交互に続く。標高が上がるにつれ、雪が強くなってきた。トラックが猛スピードで後ろからあおる。出発前にスタッドレスを普通タイヤに変えたばかりだ。室外気温をチェックすると氷点下4℃だった。峠をすぎ、長い下り坂になったとき、やはりトレーラーにあおられ、ヒヤッとしながらなんとか斜里までたどり着いた。その頃はもう薄暗くなっていた。
斜里から網走に行く途中、携帯に電話があった。「あの根室警察ですが、申し訳ありません、かけることないと言ったのですが、山田さんのご職業聞き忘れまして」という電話だった。職業を言うと「やはり車上荒らしでした、本人が取りに見えましたので・・・これでおわりです」シャブの件は言わなかったので多分違ったのだろう。シャブだったらもう一度連絡して現場に一緒に行くことになるかもしれないと言っていたので。
いきなりで失礼、無謀だとは知りながら北見の学生時代の友人富居君に電話した。もちろんこの私が住所録など準備してくる訳もなく、去年遊びにいったときの着信履歴から栃木に住む同じ学友の仲田君に電話して富居君の電話番号を調べてもらった。教えてもらった電話にかけても出なかった。ゴールデンウィークで実家に帰っているのか?ふたたび栃木の仲田君に電話。私たちの学友では一番まめでこんなときだけ頼りにする。(迷惑かけているのはわたしだけか)「ああ、電話でないんだよね。旭川の銭湯の名前、覚えてない?一緒に行ったことあるよね」富居君の家は銭湯だった。学生時代番台に座らせてくれると約束したが実現できなかった。「俺は行ってないよ」と仲田君。当時からあっちこっちふらふら遊び歩いていたのは私だけか。しばらくしてまたかけたが出ない。辺りはすっかり暗くなり、北見のビジネスホテルに電話予約入れた。すると富居君から電話が鳴った。何度もかけたので着信歴でかけてみたと言う。「あの大学時代の山田ですが・・・」「ひぇーほんとにヤマダー?」遠軽に引っ越していた彼とやっと再会することができた。夫婦で札幌の大学生の息子のアパートに行っていたらしい。
遠軽のビジネスホテルに予約し直し近くで、相変わらず天真爛漫な友と昔話を楽しみながら呑んだ。酒がすすんだ。雪が本降りになった。くどいが5月5日である。
「俺の奥さん美人ダベ、オードリヘプバーンに似てるべ、若いときはヘプバーンそのままだぁ」
と車で送り迎えしてもらった奥さんいなくなってから満面の笑みを浮かべながら言い出した。確かに美人だが、ヘプバーンって・・・?まあいいか。卒業以来30年ぶりにあったんだ。それと道内とはいえ、札幌は遠い、帰ってきたばかりで疲れているのに突然現れる私を歓迎してくれた許そう。オードリーによろしく。
翌朝10センチほど雪がつもっていた。旭川へ出るのに普通タイヤで峠を越えるのがちょっとつらかったが、なんとか超えた。
それから道央自動車道で札幌を通過して、途中仮眠しながら、函館まで行き、フェリーに乗り、サクラ舞い散る青森に着いたのは夕方だった。東北自動車道を夜通し走った。朝五時頃自宅に着いた。
遠軽から丸一日かけて東京まで来た訳だが、思ったより元気だった。サポーターのムツミちゃんにモーニングコールがわりの携帯メールをしてやった。「今東京着いたゼイ!」するとすぐ返事が来た。「朝、早すぎんだよ。プンプン」

















500円の朝定食