2003年、8月10日は朝から引っ越しの準備をしていた。
夜になっても一向にかたずかない台所で夕食の準備するのは大変なので、妻が「九州ラーメンが食べたい」と言った。時々三男が行く環七のラーメン屋「野方ホープ軒」に行くことになった。
食べ終わってから、「あっ明日九州なのに・・・」と気がついた。
それから家に戻り、ちょっとひと休みしてから日付けが変わった午前1時に出発。 昼寝をしていたのでこのまま空いている高速を夜通し走れるのではと思った。中央自動車道、名神自動車道を途中仮眠取りながら走る。
8月11日午前9時、大阪通過。やはり渋滞に巻き込まれる。中国自動車道はガラガラだった。
午後2時30分下関についた頃雲行きが急に怪しくなって来た。昨年の今頃小池さんと来た下関だ。そのまま高速で関門海峡を渡り、門司港の近くでおりる。ここから今回の旅のスタートだ。料金所で大枚20000円を支払っているちょうどその時、小池さんから電話。「おーーい、いまどこだい。」「今まさに、門司を出発するとこですよ。」「ひぇー。気を付けて、亀さんによろしく」何と言うタイミング。まるでモニターで見られているような気がして来た。
急に雨脚が強くなって来た。今年の夏は特にひどい異常気象だ。まだ夏日が数回しかない。台風も接近している。
北九州市から福岡に向かう。小倉の市街は雨で大荒れ、坂の上のマンホールから飛び出して雨水が激流のようになって流れてくる。あちらこちらで車が立ち往生している。若戸大橋は視界5メートル。雨なのか波しぶきなのか暴風雨の中、前の車のテールランプだけであとは何も見えない。そんな状態で黙々と走る。まだ4時なのにあたりはくらくなり目も疲れる。地図を見るために時々止まる。亀田さんの待つ福岡まで何とか辿り着きたい一心でとにかく前にすすむ。たぶん右は玄界灘、でも何も見えない。下関についた頃はさほど疲れていないなあと14時間ほぼ、ぶっ通しで走って来たのに自分ながら驚いていたが、さすがにこの状態で3時間も走ると疲れた。何処かに止めて、晴れるのを待とうかとも思ったが・・・。そんなとき亀田さんから電話「宿とれたよ」。ホっとする。「早く宿についてすぐに眠りたい」今自分がどの辺を走っているのかも検討がつかず、右に時々海岸らしきものがあるのでそれだけが頼りだった。福岡に近付くにつれて雨はあがり、なんとかメドがついてきた。しかしそれからがさらに長かった、走っても走っても福岡につかない。さらに2時間を要しやっと福岡市にはいる。すっかり夕闇に包まれた街をホテル従業員の電話誘導で走る。想像していたより福岡は巨大な街だった。
午後7時30分。宿についた時、部屋で待っていた亀田さんに笑顔を見せる元気はとっくに失せていた。間髪をいれずに「飯行こう」。「へぇ」と泣きそうに答え、夜の街へ。「近くにおいしいもの食べさせるとこありますか」と路上で聞く。教えてもらったところへ行くが、やっていない。さらに駅の方まで歩き、居酒屋にはいる。(酒なんかどうでもいい、コンビニおにぎりでいいんだけど・・・)と思いながら。それでも感じのいい博多弁の女将が気に入り、そしてなんとあの芋焼酎の「魔王」をおいている。ボトルで頼む「たぶん一本飲めないけど持ち帰っていい?」とことわった。快く応じてくれた。料理も悪くない。亀田さんがメニューをみて「しおぐら、あるよ」と叫ぶ。半分あくびしながら亀田さんの「しおぐしら」の思い出の語りを聞く。子供の時に食べたらしい。亀田さんは幼少を博多のあたりで過ごした。ほとんど記憶は遠のいているらしいが「しおぐじら」は今は亡き母親につながる遠い思い出らしい。わたしは、初めて食べた。見た目はビーフジャーキーの「くず」みたいで味はしょっぱい。鯨の味はかすかにするような、とにかくしょっぱかった。「魔王」を呑む、やっと精気を取り戻して来た感じだった。疲れているので会話も途切れがちになり、草々に切り上げて宿へ。ついたとたん、泥のように眠った。