8月15日朝8時、ホテルの部屋から桜島が目の前に大きく見えた。別棟になっている駐車場の屋上から桜島の写真を撮った。ただ小雨模様の相変わらずの天候。
昨夜は、鹿児島市に来るために海岸線から離れて薩摩半島を横断したので東シナ海に戻ることにした。
戻りは一旦通った道なので仕方なく高速で市来町まで。有料道路はちと気になったが、この場合は仕方ないと言うことで・・・・。
8時40分、吹き上げ浜。地引き網を引いている子供達に遭遇。
野間半島をぐるりと回り坊津をすぎ、9時50分枕崎港。さらに指宿を目指す。「イブスキって読めないなあ」「指宿・・・・。いぶすき。・・・おれをいぶすきかっ、カチカチ山のたぬきじゃねえんだよ俺は!」てなことを言いながら走っていると曇天ながら、遥か先に稜線がきれいな山が見えてきた。富士山よりももっと急なシンメトリーな稜線。「きれいな山ですねえ」と私。「ほんとうだ、ああ開聞岳だ」と地図を見ながら言った。どんどん薩摩半島の突端に近付くと圧倒的な迫力で開聞岳が迫ってきた。場所によって海にポッカリ浮かんで見える。田んぼのまん中にあった岩木山どころか海抜0メートルから立ち上がっている開聞岳はまさに薩摩富士の名に相応しい。「晴れていたらなぁ」「ほんと晴れてたらいいね」「もう一度来なきゃ行かんなぁ」開聞岳の真下に来た頃、さらに雨脚は強くなった。
指宿市を過ぎたあたりで道路わきにさつま芋の直売所を見た。「あっさつま芋だ、買おう!」おおきなよく玉葱が入っているたぶん20キロぐらいのオレンジ色のネットだった。通り過ぎてしまったので戻ろうかと思ったが、周りにさつま芋畑が一杯なので、まだ先にもあるだろうと走る。「私はさつま芋のテンプラ好きなんですよね!カミさんがよく海老とかやるけど必ずさつま芋は頼むんですよ。やっぱテンプラはさつま芋ですよ。」「ホントウ?安上がりでいいねぇこぼちゃんは」ちなみに亀田さんは私をそう呼ぶ。マンガの「コボちゃん」に若い時は似ていたと言うことだったが、他の人はだいたいわからない。「ウチのカミさんは料理下手だけど、さつま芋のテンプラだけは上手なんだなぁ、私も揚げてみるけどうまくいかないんだよね」「ハハハハっひでえこと言ってるなあ。言い付けちゃお!」「あとねぇ干し柿のテンプラ!これやってみてくださいよ、旨いんだから」「ゲテモノだよそれっ、やっぱ長野県人は食文化おかしいよ」「ほんとだってば」と言ってるうちにさつま芋直売所はなく、あたりに畑も無くなり市街地になってしまった。「ああっさつま芋買いそびれた!」「もどってもいいよ」「ああ、でもくやしいから」何が悔しいのかよくわかんないが・・・。
薩摩半島を一周して今朝出発した鹿児島市が近付いてきたころ大渋滞となってしまった。正午渋滞で止まっている時、終戦記念日のサイレン。黙とうする。桜島を右に見ながら予約した日向のフェリーの出航に間に合うのか不安がよぎってきた。日向には少なくても20時には着きたい。22時出航だが、乗船開始が20時30分だった。
「大隈半島は無理だな」「やはり無理ですかね」「宮崎も危ないよ」「日南海岸は行っておきたかったですけど天気悪いしねぇ、渋滞だし」「道路情報を電話して聞いてみよう」と亀田さんが言い、地図帳の末尾のリストで日南海岸のある宮崎あたりに電話。今は渋滞はないがこれから渋滞の予想と言うことだった。
「諦めよう、大隈半島と宮崎日南。再度晴れた時にしよう。」と亀田さん「・・・・・・」「それがいいって、なんか心残りありそうだなコボちゃん」「さつま芋買いそびれたから、また来なきゃなあ」「そうだよ、ハハハハハっさつま芋買いに来なきゃ」。
結局鹿児島市を過ぎ、国分市に着いた頃には3時になっていた。そこで一旦海岸線の旅を終了ということにして内陸の都城を目指す。都城からは東九州自動車道を使い宮崎市、新富町あたりで海岸線に出て国道10号を日向に向けて走る、やはり降ったり止んだりの天気。今回は本当に天候に恵まれなかつた。
日向には6時半頃に到着。フェリーに乗船して、22時出航、18時間後の翌8月16日午後4時川崎港に着く。
天候不良でフェリーは揺れたので眠りは浅く、思っていたよりずっときつかった。とても長く感じた。