2002年8月10日、夜10時自宅を出発小池さんの家へ迎えに行くことになった。途中で亀田さんを拾う。小池さんの奥さんに「ちり紙持った?気を付けてね。私だったら運転代わってあげられるのにねぇ、ごめんなさいね。よろしくお願いしますね。」と親戚の叔父さんに子供を預ける母親のようなニュアンスで言葉をかけられた。小池さんは免許を失効してしまい、今は無免許のままだ。「ええ、気を付けて行きますから。」
どうもオヤジは、奥さんから見ると頼り無いというか危なっかしい子供に見えるものなのだろうか?。会社では売り上げがどうのこうのと社員に睨みをきかしている社長とは縁遠い。栗本さんの奥さんとお会いした時も「いつも主人と遊んでいただいて、ありがとうございます。」と言われた。「公認会計士の先生も偉そうに言ってるが、奥さんの前では子供といっしょじゃねえか」と笑ってしまった。
環八から関越道にはいり、スタート地点となる新潟港を目指す。
最初から車内はハイテンション。おやじギャグの連発で笑い過ぎて頭が痛くなって来た。構想から約半年、みんなやっと実現した「スタンドバイミー・プロジェクト」に興奮していた。
スタンドバイミーは、あのスティーブンキングの名作を映画化した少年の冒険の旅を懐かしく思い出すあれだ。親の心配をよそに大人への憧れと絶望のはざまで揺れる。オヤジは、奥さんに心配されているのか?いないのか?結局大人になってもオヤジはガキ扱いなのか?。ただ少年の日のあの遠足の前の日のようなワクワクした気持ちはみんなあったようだ。
関越のトンネルを出た当りからシラジラと明けて来た。眠くなったら途中で休もうと思っていたが全くそんな心配はなし、バカ騒ぎしながらようやく新潟港に当たりに着く。そこで地図を広げて新潟競馬場を探す。とりあえず去年の東北の方角になってしまうが、亀田さんのたっての希望で「競馬で当てて、路銀を稼いで弾みをつける」という計画実行のために北上した。競馬場近辺まで行ったが、まだ6時。開場の8時半ぐらいまで時間を潰すことになった。とりあえず朝飯を食べようと言うことになり、新発田のビジネスホテルで朝食セットを食べる。朝食を食べてもまだ時間がたっぷりあるので、ひと休みしようと海岸沿いの適当な空き地にを止めて仮眠をとった。
私も小池さんも競馬の知識経験がほとんどなく、亀田さんに詳しく買い方を教えてもらいながら5レースほどやった。全滅だった。
それから気を取り直して、本来のドライブに。海岸線を目指す。国道402号を南下、寺泊に着いたのは1時ごろ。昼食を取ることにした。天気は快晴でくそ暑い。寺泊は海産物の小売りをやっている店が固まって出来ている、ちょっとした市場のようなところがありそこへ行った。高速でくれば関東からも3時間弱と近いので関東方面のナンバーがたくさん止まっている。何を食べようか物色していると、昨年仕事で世話になったイラストレータのカエルさんに会った。海産物を沢山買い込んで大きな荷物を持って歩いていて「あれっ・・どうも、それじゃあ」。
一階が海産物の店で2階が食堂になっている。歩いているとおばさんに声かけられた、「お兄さん達、食事だったらこっちへどうぞ」とうちわで手招き。一本通りから裏手の方へ誘う。おにいさんじゃねえけど、当てもないので、何となく着いて行くと、キャッチできたと思ったのかニコニコ。そばに寄って来て小声で「通りの下の店(美味しそうな海産物がならんでる)と上の店は全然別な店だからね、みんな騙されるんだよ」。暗に上の店は良くないと言わんばかりだ。何処も混んで客が待っていたので行ってみるかという気になった。「あのねえ、お客さん。見てくれで判断しちゃダメだよ」と妙なことを言った。「その先だからね」とのれんが出ている店を示してまた、通りへ客を探しに戻った。言われるまま店に行ってみると、怪しい。その他の店とは全く違う静かな古い一軒家、ちょっと覗いたが、客は誰もいない。メニューもない、たぶん居酒屋だと思われる。怪しい。どうも最初から印象が良くなかったのもあり、やめて戻ることにした。「みてくれで判断しちゃだめだって、お金もそこそこ払わないと美味しいものは食べられないんだよ」とまた例のおばさんが吐き捨てるように言った。高いんじゃねえかやッぱ。「なんだよそれ、見てくれも大事だよ」とわれわれも捨て台詞。おばさんはまた他の客探しに必死になった。仕方なく比較的空いてる一軒に入る。本当にサイテーだった。大きな腕の味噌汁と海鮮丼。解凍した刺身と小指より小さな甘エビが一本。(普通二本だロ)。味噌汁の腕がバカでかい。こうゆうのは普通海老とかの海の幸が沢山入った具沢山の味噌汁用だと思うが、ワカメと油揚げだけ。さい先の悪い昼食だった。「新潟まで来てなんでこんなもんくわにゃならんの」。

朝新潟の海を見る


新潟競馬


天候もいまいち


荒れる海