2004年夏は大変な猛暑に見舞われた。そして秋には台風がいくつも上陸し、大きな被害を残した。
9月30日未明には、日本列島を縦断して各地に被害をもたらした大型の台風22号が関東を通過した。台風一過の久しぶりの青空、事務所で仕事を片付けて予定通り12時に市ヶ谷をスタートした。霞ヶ関インターから東名高速を目指した。秋晴れの首都高速はこれから出かける初めての四国に期待を持たせた。スタートしてすぐ亀田さんから激励の電話。「行って来まぁーす」「けっうらやましいな、気をつけて!」。
東名は平日の下りでガラガラ、あっという間に浜名湖サービスエリアにつく。
サービスエリアで「うなぎ茶漬け定食」1000円を食べる。富士山がくっきりきれいだ。
名古屋、京都まで順調に走ったので、今夜の宿を考える。時間的に見て明石の橋のたもとあたりに泊まり、翌日淡路島を縦断しようと決めた。明石あたりはどんな町なのか全く見当もつかず、しかも「日本の宿」の本を持ってくるのを忘れたことに気づく。仕方なく自宅に電話、誰も出ない。この時間でも自宅にいそうなサポーターの主婦イラストレータの佳代ちゃんに電話。やはりいた。ネットで明石大橋の近くのビジネスホテルを探してもらう。「舞子なんたらいうホテル」を見つけてくれた。電話し、予約ができた。西宮あたりにきた頃はすっかり辺りは暗くなってホテルのチェックイン7時頃と言ったけど間に合うかなあ。そのとき今回からサポーターに加わった飲み食い処「花波」の睦ちゃんから激励の電話。「いまどこ?」「西宮」「ひぇーっはやぁい」。
阪神高速はわかりにくい、高丸ICで降りるはずが、明石大橋の方にまで入ってしまった。垂水ジャンクションの料金所の脇の駐車スペースにいれると、こんなときのために看板がある「間違った方は事務所へ」。
おっさんが出てきて一般道へ出る道のゲートをあけてくれる。ガソリンスタンドでホテルへの道を聞く、すぐ近くだった。これはもしかしたら間違って正解だったかもしれない。
ホテルは明石大橋の夜景が見える大きなホテルだった。部屋もツインのシングル利用。窓からきれいにライトアップされた明石大橋が見えた。夕食はホテルで食べるのは好きでは無いのだが、周りに飲食店らしきものが見当たらず、それならと大橋の夜景の見える展望ラウンジに行く。
明石タコのフリット、明石タコのマリネ、シェフお勧めのペペロンチーノとビールを注文。
隣に私とどっこいのおっさんと更に年配の男が、若いと言っても30代と40代位の女性を引き連れ4人で盛り上がっていた。「あのな」「ほらぁあかんわ」「そんなこというたかてな」と神戸の言葉が耳に入ってくる。どうも私の知る限り神戸の人のしゃべりは声のトーンが一段と高いような気がする「あかんわ」の「あ」から「か」のときほとんど裏声のような感じになる。明石家さんまみたいな痩せぎすの男ばかりでなく、見た目は大きくて太ってがっちりしたような男がそんな声を出している。まあ優しく聞こえると言えばそうともとれるが、なんとなく違和感を感じる。ひとしきり大騒ぎして「ほな、かえろか」といって引き上げた。ラウンジの客は私一人になった。ジャズが流れている、夜景もきれいだ。せっかく静かになったのでハーパーのダブルとミックスナッツを注文する。そのミックスナッツは両手で山盛り一杯あった。そんなに喰えないよ。どうするの?
事務所のユウコちゃんから「どこあたりですか?どうですかぁ」の携帯メール。状況を知らせると「なんかカッコイーイッ」と書いてあった。もちろんギャグで言ってるのだが・・・。
ジャズを聞きながら夜景の見えるソファーでグラスを傾け、「ホントだっ。なんか俺かっこいいなぁ、ウンウン」とちょっと状況に酔いしれる。ちょつと予定より宿代も夕食も高かったが、「まあいいかっ」と。いつものいいかげんなゆきあたりばったりの一人旅。でもこんな瞬間が一番最高なんだな。自分の人生を振り返ってみたり、そしてこれからの夢を見たり・・・・でも、考えようとしてもつい頭によぎるのは、、、、「このミックスナッツ残したらもったいないな、どうやってもって帰ろかなぁ」だった。2杯目呑んでもナッツは全く減らなかった。イチローの記録も気になったが、急に酔いが回ってきて、部屋に戻りベッドに入ったらすぐに寝てしまった。