能登半島一周は、今回の旅の中でも最初からみんなの期待があった。もちろん風光明美な海岸線はそのとおりであるが、亀田さんの過去の「金沢一人旅」の思い出話し(これは本人の許可が必要なのでここでは公表しない)や、竹人形とか、小説の舞台とか、(実は私は全然読んでないが)これは私だけだと思うが、着物姿の美人が行き交う古い町並みのイメージ?なぜか「金沢美人」という言葉がすぐ浮かんで来る。どおしてもそっちに行く。
どんよりとした空だったのが能登半島の突端、珠洲に着いた頃はすっかり晴天になっていた。カヨちゃんたち、あのままこっちに来てれば良かったのに。「能登は晴れてます」とイジワルなメール送る。
小池さんが、仕事仲間に能登半島一周すると話したら、「珠洲岬の売店に親戚がいる」という人がいてその人を訪ねてみようということになった。結局今はその店が営業していなくて会うことは出来なかった。
能登をぐるっと回って、越前海岸に向かう。その道でK田さんが、「そういえばおばあさんしかさっきから見ないねえ」。言われて気付いた。日中で外は暑いから当然と言えば当然だが、確かに人を見る事自体が少ないのだが、たまたま歩いている人は乳母車みたいな小さな車輪付きの手押し車?のばあさん。おじいさんはどうしてるのだろうと気になる。車内でそれについて議論が飛び交う。「ばあさんを見つけたら地図にフセン貼って行こう」と冗談で笑う。
この年代は、連れ合いが戦争で取られているから、絶対量も少ないと思われるが、それにしても元気なのはやはり女性なんだなあとつくづく思う。たぶんじいさんは家の中でゴロゴロしているのだ。ばあさんはお茶菓子を手押し車に載せて、せっせとコミュニケーションしにばあさん仲間に会いに行っているのだ。身につまされる。これはこれから我々が迎える高齢化社会の縮図である。サラリーマン生活であくせくしてきたオヤジたちは、定年を過ぎると気付く。仕事以外の事は何も出来ないのである。女性は子育てが終わった辺りから余裕ができ、がぜん元気になって、やれ旅行だ、観劇だと徒党を組んで旨く時間を費やす。そんな奥さんに夫は付いて行く元気もない。都会でも50代以上の女性の集団をよく見かけるが、じいさんの集団はまず見ない。もちろん家事なんて出来ないから家にいても昼飯も作れない。ばあさんはそんなじいさんにますます哀訴をつかすのである。
ちょうど越前海岸の砂浜に自動車で走れるところに来た時、夕日が沈みかけていた。しばらく夕日を眺める。能登半島のメインだとイメージしていた夕日の越前海岸を堪能して金沢まで行く。金沢のビジネスホテルを携帯から予約する。
夢にまで見た金沢の夜。競馬で当てていれば豪勢に「金沢美人」を相手にドンチャン出来たのに。ホテルの近場のなぜか焼き肉やへ入る。ちょっとちがうなぁ。それにしてもこのままじゃあ、ということで引っ張られるように夜の繁華街の方へ。
「まあせっかくだから、お姉ちゃんのいる店に行きますか」となり、「こういう時の私の鼻は効くんだよ」と亀田さんがホイホイ先へ行く。「ほんとかなあ」といいつつ私と小池さんが後からついて入った地下の店。カウンターがあって、中にバーテン風のオヤジ。店の端に女性。客が一人いたがすぐ出て行った。「いらっしゃい」と元気よく言った蝶ネクタイのじじいバーテンの歯が抜けていた。「あらぁ、お客さーん」と寄ってきた金沢の人・・・・が。ビヤダルにドテカボチャをのせた白いぶよぶよした「物体」。私と亀田さんはすかさずアイコンタクト。「ん、また来る」と言って出口へ。ところが、アイコンタクトにタイミングが会わなかった小池さんが、羽交い締めされるのを立ち去る時、視界の端に捉えた。「お客さーん、逃げないでよ」「たたたっすけて」小池さんの声が遠のく。私はこういう時の逃げ足は早い。階段をとんとん二段、三段跳びですぐに表に出た。亀田さんが「小池さん、捕まっちゃったよ」。「たけてくれーーーー」また小池さんの悲痛な声。勇敢にも亀田戦士が、地下ダンジョンのボスキャラに捕まった仲間を武器も持たずに助けに戻った。HP、MPを使い果たし虫の息の私はただただ怯えていた。
それに懲りた私達は、カラオケBOXに入った。小池さんがうっぷんを晴すように、十八番の吉田拓朗の「イメージの詩」(約8分の長い歌)、そしてみんなで同じく拓朗の「人間なんて」等等熱唱した。もちろん、「スタンドバイミー」なんかも唄っちゃって。
その夜は「流星群が見れるんだよ」とカヨチャンに教えてあげて自分も絶対見るつもりでいた。夜空は晴れていたのに、すっかり忘れてただの酔っ払いで終わった。結局ホテルなども含めて金沢の人(女)との会話はビアダルドテカボチャのオブジェだけだった。



中年はハゲか短髪がいいと・・誰かが


タテ位置ばっかりだな


晴れて来ちゃったんだな


越前海岸で悩む


↑ただクラゲを見てただけ