8月13日午後4時頃、道路にヒッチハイカーを見つけた。私は学生時代ヒッチハイクをしていた経験から自分も遭遇したらヒッチハイカーを乗せると決めていた。
そのハイカーは男二人組だった。小池さんはちょっと「えっ乗せるの、二人いるよ」と怯んだ。しかし私は小池さんの言葉を聞く前にハンドルを切って車を左に寄せていた。「乗って。どこまで行くの?」「有り難うございます。どこまででもいいです。お願いします。」と礼儀正しい。二人とも登山のような大きなリュックだった。トランクを整理したが、我々の荷物が多くさらにギター2本もあるので狭かった。後部座席に二人を乗せ一つのリュックは膝に乗せなくてはならなかった。「ちょっと狭いねえ、それでもいい?」「ぜんぜんOKです。有り難うございます。有り難うございます。」と言うことでスタート。なかなか車が止まってくれなかったと言った。私がやっていた頃の昔と違い、長距離のトラックや営業車は会社の方針で何かあった時の保証や安全性を重視し乗せてはいけないことになっていると聞いていたが・・・。考えてみればうなずける。
一人は大学2年生、もう一人は受験に失敗して一浪はしたが、2年目の浪人を途中で断念してフリーターをしているという。京都からこれからの夏休みの約2ヶ月をフルに使い二人で日本一周を目指していた。ちょうど小池さんも私も同じような大学生の息子がいる。若い時になるべく旅行をしていろいろなものを見ておきたいという二人を自分達の息子とつい比べてしまう。私も小池さんも「しっかりしているなあ」と感じた。我々の息子達はこんなふうに我々のような年輩の人と言葉をかわすことができるのだろうか?と二人とも思った。田舎では様々な年代の人となんらかのかたちでコミュニケーションがあるが、都会では学校と家の往復で親戚以外の大人と会話をする機会はほとんど無いと思う。まあ我々がそういう場面を見ることがないから、そう思ってしまうだけかも知れないが。小池さんもだんだんうちとけてきて、我々の「オヤジ旅」を熱く語っていた。「泊りはどうしてるの?」「基本的にはキャンプでいくつもりです。まだキャンプしてないんですけどね」。
3日前に京都を出てきて知り合いの民宿を手伝いながら、ただで泊めてもらっていたらしい。事実上スタートしたばかりだ。京都府に入る。彼らは京都がスタートなので「福井県に入ったと思ったら、また京都府に戻っちゃいましたね」と笑う。いつどこまでという予定は全く無いらしい。のんびりしている。日本一周はできるのだろうか?「沖縄はどうするの」「沖縄いいですよねえ、絶対行きます。」
天橋立が近付いてきた。夕闇も迫ってきている。キャンプ場があったがもうテントがいっぱいでスペースがない。とりあえず天橋立の方へ国道からそれて入る。有料駐車場しかなかった。私が「おれたちねえ、有料駐車場止めないのよ。それに名所旧跡には興味ないんで天橋立はパスだな」「そうそうパスだな」と小池さん。あっさり、車をUターンする。「ええっ?」と二人は顔を見合わせている。「ああじゃあここでいいです。」と一人が言った。「天橋立、見に行くの?あんなもん写真のとうりだと思うよ」「ええ、でも一応」「わかった、ここで別れよう、頑張れよ。」「有り難うございます。あのう、この手帳にお名前頂いていいですか?それと写真撮らせていただけますか」「おお撮ろう、撮ろう。俺のカメラでも撮るよ」(参照)まだ数名の名前しか書いてなかった大学ノートに私と小池さんがそれぞれ名前書く、私はメールアドレスも書いた。(結局いまだに連絡はないが・・・)「おふたりも頑張って下さい。そして気をつけて」「ありがとう」と握手して別れた。小池さんが「実は最初はめんどうだなあと思っていたけど・・・よかったねぇ、乗せて。気持ちいいやつらだったなあ」「私もなんかホっとしてます。とにかくハイカー乗せたかったんですよねずっと。ちょっと昔の恩返し出来たようでいい気分ですね」「うん、よかった。よかった。」

ヒッチハイカー




舟屋