京都の若狭湾の突端ちょい手前に差し掛かった頃、夕暮れ近くになったので、泊まるところを探しながら走っていると。入り江のきれいな港町についた。狭い道の左側は木造の家屋。板塀に見越の松がある立派な家が多い。右側は倉庫のようなやはり木造のちょっと小さな家が並んでいる。
「なんか、いい感じの所ですねぇ」と私。「ほんとだ、いいねえ。こんなとこ泊まりたいね、宿ないかなあ」と小池さん。探しながらいくと町が終わってしまい、内陸の方へのぼる道になってしまった。しばらく行くと民宿があった。とうり過ぎるともう家はない。「さっきのあそこ聞いてみましょう」戻って車を止めた。
「すみません」というと「はぁい」と中学生ぐらいの少女が出て来た。恥ずかしそうに「なんでしょうか?」「こちら民宿ですよね、泊れます?」「ちょっと待ってください」といって奥へ行く。ちょっと太めだが美人の女将が出て来た。(後で小池さん曰く朝倉なんとかいう歌手に似ていると。わたしはそれほどじゃないと思うが・・・)「なんでしょう」「男二人なんですが、泊れますか?」「いいですよ。食事は、別で6,000円です。」「食事はとなりの店でしていただくようにお願いしたいんですけど」見ると割烹の店がある。たかそうだなあ。「どうしますか?」と小池さんに聞くと、「いいんじゃないの」ということで決めた。
通された部屋は12帖ぐらいのお座敷。となりが襖で仕切られていて、客がいる様子。風呂に入って浴衣を着ていったん表に出てから、となりの割烹店に入る。まだ新しい店できれいだった。先ほどの女の子が手伝っていた。同じような年頃の子がニコニコしながら3人ぐらい同じ作務衣のようなものを着ている。次々と新鮮な魚介類が運ばれて来た。二人ともそれほどの量は呑まなくてもいい気持ちになれる。あまり強くないということ。ひとしきり呑んでから、「あっあのお姉ちゃん達と花火しましょうか?」と私、「いいねえ、やろう」とデレデレの満面の笑みの小池さん。キャンプに子供がまだ一緒に付いて来ていた頃、買ったけどあまってしまった。翌年になって子供が「行かない」と言い出しそれっきり家族でキャンプに行くことが無くなって、捨てるに捨てられずに10年程押し入れで眠っていた。結構大きな花火セットだ。
オヤジたちで夕日を見た後やろうと思い、車に積んで来ていた。運んで来た女の子に「花火あるんだけど、あげようか」「ええっいいんですか?」「ただ、10年前に買ったやつだから腐ってるかも知れないけどね。ハハハ」花火を車からとって来て「これだよ」と。「キャー、ありがとうございまぁす。」・・・・、それだけだった。「じゃあ一緒にやりましょう」と言ッてくれるのを待っていたが、それだけだった。ふたりとも妙な理性で縛られていた。ここに亀田さんがいたら「一緒にやろうよ」とすかさず言ったはずなのに。ふたりのオヤジはタイミングを逃し、お互いの目は「点」になっていた。
伊根町は「舟屋」で有名な場所だった。舟屋とは入り江の海岸すれすれに山が切り立ったところに(砂浜がない)に集落を作るため家の軒下が船のガレージのようになっている。二階建てになっていて上が住居になっている。今はその山側を切りくずし道路を作っているため、道路を挟んだ山側に母屋のような立派な家が出来ている。昔は道路がなかったのでこの舟屋だけで、船がそのまま足として使われていたようである。
早めに起きて朝食前、写真を撮りに二人で出かけた。やはり独特の雰囲気のある家並みだった。写真を撮りに全国からマニアが来るらしい。そう言えば見たことあッたような気がする。入り江になっているので穏やかな海、年老いた漁師が船の上で網を繕い漁の準備をしている。かすかな波の音と海鳥の声しか聞こえない。二人とも無言でシャッターを切っていた。初めて来たのになぜか懐かしい、のどかな漁村の朝に身も心も癒された。

舟屋の向こうは海


左側が舟屋




立派な家が多かった



初めてなのになぜか懐かしい




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