8月15日午後2時六ヶ所村。
ずっと走りっぱなしできたのでそろそろ遅い昼食をとろうと食堂を探す。原発PRセンターのあたりにさしかかったころ「うに・いくら」の看板、見ると駐車場がいっぱい、おまけに店の前に数人並んでいる。こんななんにもないところにいきなり混んでいる店、それももう昼はとうに過ぎている。
急ぐ旅ではないしと思い並ぶことに。メニューを見ると以外と高い。でもこんなときはちょっと贅沢してもいいかなと、「うにいくら丼2300円」を注文。これがすごかった。いくらはたぶん店で見るあの200グラムの丸いパックいっぱいぐらいはある。、ウニはあの箱2個分は入っているとおもわれる量。それに大きな海老の入った味噌汁。たまらない。こりゃあ行列が出来るわけだ。見ると青森以外の県ナンバーが多い、遠くから来る価値はある。すっかり満腹になって、気分も上々。
そこからさらに南下。妻の生まれたところ「三沢市」に着く。旅の土産にと思い三沢の駅周辺を写真に撮ろうと内陸へ。しかし車を止めるところがなく、ちょっと窓から撮っただけでやむなく通過。三沢は米軍の基地のある町、義父は基地で働いていたた。官舎という長家のようになっている家で妻は生まれた。ちょつと幹線から中に入ってみるとそれらしい建物があったので写真を撮る。あとで妻に「これは全然違う」と言われた。
また海岸線へ戻る。八戸を過ぎ久慈辺りまで来るとすっかり暗くなった。ここから地図を見るとリアス式海岸のギザギザ。しかし国道はほとんど内陸を走っている。これは海岸線ではない。ここは夜中走っても同じかなとそのまま走り続けることにした。
8月15日夜9時、釜石市で道を間違える。いろいろなことを考えながら、時々大声で歌を歌いながら快調に進んでいたと思ったら「遠野まで10キロ」の看板。ありぁりぁ、地図を見てきたのに。こりやあ「遠野物語」の座敷きわらしか、狐に騙されたか?慌てて戻る。やっとのことで釜石市の分岐に戻り、道の駅で仮眠3時間。
再び走りはじめる。
8月16日午前4時、気仙沼。辺りがうっすらと明るくなってくる頃、また、道の駅で仮眠2時間。
ここからの大平洋は正直失望した。あまりにも観光地化し過ぎているところ。いわゆるビューホテル、リゾートマンション。それ以外は工場地帯。海水浴場は駐車場がいっぱい、どこも呼び込み合戦。ほとんど無気力に車を走らせる。
塩竈からの4号線から今回の旅、初めての渋滞。やむなく県道10号へ、ずっと住宅地または工場地帯。仙台を過ぎ、国道6号へ入る。こちらもところどころ渋滞。海岸ぞいの県道を迷いながら走る。迷うと左へハンドルをきり海を目指す。しかしほとんど海は防砂林の向こうで見えない。
8月16日午後2時、かつて毎月、車で仕事できていた「いわき市」に入る。20年以上前だが、あまり変わっていない。当時通った蒲鉾の会社の前をゆっくり通過してみる。社長いるかな?まだお盆だし会社は何処も夏休み、誰にもあうことなく、小名浜に着く。
小名浜の割烹旅館に毎月営業できて宿泊していた。仕事を早めに切り上げて、よく板さんと釣りに行った。ここで昼食。港の市場で海鮮丼2000円を注文。70点。ボリュームはあるが、何しろ昨日の「うに・いくら丼」の衝撃には勝てない。
当時はまだ常磐自動車道がなく、国道6号を片道6時間かけて往復していた。懐かしい道だ。今日はたいがいの会社がお盆休みの最終日、常磐自動車道はたぶんいっぱいだ。一般道である国道6号はさほどの渋滞に巻き込まれることなく水戸を過ぎ、51号線に入り、さらに124号。ここからは銚子に向かう道なので、都心へ帰る車はない。さらに空いている。銚子を目指す。このあたり、ほとんど工場地帯で海岸線は見えない。やっと海が見える九十九里浜を走っている頃にはすっかり夜になってきた。 |

霊は興味ない。きれいだなあとおもった

こんな一人旅のような女の子がいた
三途の川らしい、曇天の空が雰囲気ある
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